救命病棟24時 | 不精者の結婚行進曲

救命病棟24時

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私の家族は兵庫県(阪神間)の住民なので
阪神淡路大震災に被災しました。


我が家の周辺は
震度7を記録した市内でも被害の大きかった地域ですが、
幸いな事に実家は一部損壊で済みました。

でも一つ下の辻の家は全壊だったし、
水道管・ガス管が壊れて危険な状態だったので
被害の少なかった父の仕事場に避難していました。

私はというと、
当時は東京の大学に通っていたので
実は被災していません。



1995年1月17日

私は朝方5時頃までレポートを書いていました。

その日の授業は2限目からだったので、
とりあえず一眠りと思って寝付いた矢先の事でした。


ドンドンドン っと


学寮の個人部屋の扉となっている襖がたたかれて
関西出身の一つ上の先輩が
震災のことを知らせてくれました。


携帯もまだまだ普及していない当時、
寮の公衆電話に走って実家に電話しても全く繋がらず
同じ市内で一人暮らしをしている祖母に電話して
家族全員の安否を確認しました。


見知ったはずの風景が
無残に壊れている様子を
くる日もくる日もテレビで見続けながら
電気・ガス・水道の全てが断たれた実家に
復旧の早い電気で生活できるよう
電磁調理器を購入して送りました。


1月末に実家に帰った時も
ガス・水道は通っておらず、
水道は帰省して二日後に、
ガスは2月末に復旧しました。

ガスが復旧するまでは
お風呂は自衛隊が設営してくれた仮設風呂に
入りに行っていました。


あの震災で
私の親類縁者は無事でしたが
知人を一人亡くしています。





新潟中越地震
スマトラ島沖地震

被害は甚大で
まだ予断を許さない状態です。



救命病棟24時

を見ていると

私も“いつか”に備えて準備しておかなかれば

“いつか”の時、私は何ができるだろう?

と考えます。



被災者の皆様、どうか頑張ってください





aikoとカレの結婚式まで 110days